「ポンペイ」死ぬ時、どんな人でありたい?
子供の頃、ポンペイは火山の爆発で一瞬にして街が無くなった、と言う話を聞いて自然の恐ろしさを感じたものでした。
でもそんな天変地異は何千年に一度起こることだから、身の回りに起きることはないだろう、と思っていましたが、阪神・淡路大震災や東日本大震災で身近に天災で一瞬にして多くのものが失われることも目の当たりにしました。
諸行無常諸法無我、同じ状態で永遠に在る物は無く、自分の思った通りになるものは無い…
自然の脅威を見せつけられると、謙虚にならざるをえないと感じます。
映画は、とてもリアルに火山の爆発の様子とその恐怖を描いていました。私は3Dで見なかったのですが、きっと3Dなら、溶岩が飛んでくる様は迫力があっただろう、と思いました。
アクション&パニック映画ではあるのですが、突然の事態の中、それぞれが死んでいく時の態度にその人の生き様を描写していて面白いと思いました。
我先に自分だけ助かろうとするもの、神に祈りながら死ぬもの、命乞いをするもの、最後まで自分の権威を振りかざそうとするもの、愛する人を守り続ける人…。
マネジメントの権威であるピータードラッカーは
自らの人生の中で問い続けた言葉として
「あなたは、いったい何によって憶えられていたいか?」
という問いかけをあげています。
この言葉はドラッカー自身が子供の時に教師に問われて以来、自分の心の指針にしてきた言葉でした。
この言葉の意味は何か大きな功績を残すべきということではないのです。
「あの人は誠実だったよね」「あの人は努力家だったよね」「いつも優しい人だった」など、
「あなたが死後、どんな人として記憶されたいですか?」
「どんな人生を理想としますか?」
という意味です。
それはあなた1人の評価ではなく、子どもや孫に対する誇りとしても残るはずです。
因みに「ポンペイ」の主人公が勇敢に愛する人を護る生き方を貫いたのも父親がそういう生き方をしていたからでした。
さらに魂は永遠の生まれ変わりがあると仮定した時、より良い生き方をすれば、この世では諸行無常諸法無我であり財産や肩書は残らないけれど、あの世ではその尊い生き方や信念は永遠にその魂の誇りとして残っていくものなのだと思います。
是非死ぬ時に少しでも「理想の自分」に近づいているような生き方をしたいですね。